2015年3月20日金曜日

Carl Hammig の作品

フィドル・セッション会は今回も盛況でした。
フィドラーが20数名も集まると壮観です。ほかにもマンドリンやギターで参加した方、そしてバッキングバンドと、体温だけでも熱気あふれるセッションでした。

伴奏ブルグラバンドはやる気満々で待機して下さり、私は二胡の友人とAmazing Grace を二重奏しました。二胡はバイオリンと音色がマッチしてアンサンブルに向いている、と主催者の方の感想です。

フィドルでは Flower of Mexico をソロ演奏しました。速弾きの曲で、Bメロ部分はまだ指がもつれそうで、演奏途中ストップしそうなので、伴奏を辞退したのですが、バンドさんが「大丈夫」「だいじょうぶ」と嬉しそうな笑顔でおっしゃるので、そのままGo!あとの記憶はどこかへ。
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さて、この日使った、Hammigバイオリンの話をまた続けましょう。

Carl Hammig については、ドイツの複数の旧いバイオリンメーカーブックのリストで、Meister、バイオリン製作者に関する英文サイトでもCraftsmanship とあります。

Carl H. Hammig が製作した楽器はアメリカのカーティス音楽学校(ペンシルベニア州フィラデルフィア)のコレクションに2本あることが分かっています

1932年に製作したビオラが、現在、ドイツのオンライン楽器販売に出品されています
こちらは、掲載写真のネックの上駒部分に修理跡の様なものがくっきり。ペグボックスがネック部分でポッキリ折れたかのようで、最初見るとはっとします。
そんな事故は、普通では考えにくいので、単に写真の光線の具合のせいかもしれませんが。

私の楽器もC部分のパフリング交差部の角が黒い焦げ色をしていて、先端が欠けています。初心者の弓ですり減ったとすると、上達はしなかったようです。
一枚板の裏板は表板と微妙に形がずれていますが、ニスのはがれ方が同じなので、経年変化のせいでしょう。
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ドレスデンは第二次大戦中の1945年、2月13~15日の間に、連合軍による4度にわたる大規模な空からの無差別爆撃を受け、市の85%が破壊され、数万から数十万の犠牲者を出したといいます。

楽器の損傷はこの空爆と関係あるでしょうか。
Carl Hammigもまたこの年に空爆を経験したのでしょうか。

彼はいつどのように亡くなったのでしょうか。(諸説:生年は1877年と1889年、没年は不明または1932~1945とする説があります。)


ドイツ製バイオリンは、19世紀末から20世紀初頭までの間、年間数10万本のバイオリンがアメリカに輸出され、ドイツの主要輸出品目かつ外貨稼ぎの筆頭でした。
同時期にバイオリン製作を行っていたHammigは、どんな人だったのでしょう。