先月はオカリナさんたちの発表会のゲスト出演で、
Hammigのバイオリンを初めて披露しました。
入念に練習を重ねましたが、本番では緊張、
でもなんとか無事に終えました。
数日後には介護施設での演奏が待っています。
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Carl Hammig が製作したバイオリン。
彼の作品を手にしたのはどんな人たちでしょう…
つれづれに情報を追ってみました。
1889年創刊の弦楽器専門誌 The Strad、2011年4月号
Phillip Kass 著の記事にこんな記載がありました。
「Carl Hammig のバイオリンを弾く人にはすぐれた音楽家が多数おり、なかでも著名なのは、バイオリニストで優れた指導者でもあったLeopold Auer だ。彼が渡米し、フィラデルフィアのCurtis Institute of Musicで教鞭をとるようになった際、Carl H. Hammigのバイオリンを持参した。そのため、同校はCarl Hammigのバイオリンを2本入手し、コレクションに加えた。」
レオポルド・アウアー(1845~1930)はハンガリー出身のバイオリニストです。中でもジョーゼフ・ヨアキムに師事した時から、ドイツ音楽の影響を大きく受けました。その弟子には沢山の著名なバイオリニストを輩出しています。エフレム・ジムバリストやヤッシャ・ハイフェッツもそのひとりです。
オーストリア治下のハンガリーで、貧しいけれど腕のいい家具職人の父のもとに生まれ、幼少から音楽の才能を見せ、音楽学校に入学しました。学費や生活費を稼ぐために苦労し、最初はフランスをめざし、その後彼の才能を見抜いた有力者に勧められロシアで活躍しました。
ロシアでは厚遇され、名誉を与えられ、40年以上を演奏と指導にあたりましたが、齢70過ぎにして、激動のロシア革命を逃れ、アメリカへと移住を余儀なくされました。アメリカでは自分のかつての弟子たちが活躍しており、彼を温かく迎えてくれ、生涯をバイオリニストの指導にあたりました。
ところで。
アウアーは晩年、ドイツに行き、ドレスデン郊外の風光明媚なロシュヴィッツ(モーツァルトや詩人ゲーテなども滞在し当時の高級避暑地)で客死し、ニューヨーク州のフェンクリフ墓地に埋葬されました。
Carl H. Hammigのバイオリンを弾くアウアーがCarl H. Hammigのいるドレスデンにやってきたのは、何のためだったのでしょうか?避暑観光の他にも用があったのでは、と想像の翼が羽を拡げます。