2010年9月19日日曜日

パット・メセニー

楽器屋さんの楽譜コーナーに、面白い本を見つけました。

ジャズ・ギタリスト、パット・メセニーの過去25年間の作品167曲を乗せた楽譜で、彼自身がまとめた楽譜集です。中には映画音楽もあります。シンプルな曲が多いのですが、そのコードワークには興味がわいてきます。ジャズの殿堂を見学しようと、入ってみたら、最初からディープな部屋に迷い込んだみたいな・・・

スコアではなく、「歌本」に近いつくりです。それでも、内容はギターという楽器の進化とも深く関わっており、テーマとメロディー、コード進行を見ていく楽しみでワクワクします。

この人の逸話はため息ものです。
そのひとつ。
13歳からギターを独学したパットが、有名バンドのコンサートに行って、楽屋でバンマスにギターを披露したら、実力を認められ、バンドに入れてはくれなかったけれど、代わりにその推薦で、バークレー音楽大学講師になったそうです。18歳の時のことです。
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先日、NHKのBShiでは伝説のギタリストを取り上げた、連夜放送の特集番組がありました。背後にある「新しい音」を求めて苦節するミュージシャンたちの人生が脳裏に焼きつきました。

2010年9月6日月曜日

バイオリンとアコーディオン

バイオリンもアコーディオンも、音を決めるのは耳です。
どちらも、音を決める手がかりが見えないからです。

三味線や三線と違って、バイオリンはひたすら左肩と左手左腕が疲れる、これは局所身体的負担を強いる、妙な楽器です。
音の良し悪しを決めるのは、これは楽器と弓もさることながら、弾き方で微妙に違ってくるようです。
耳をすまし、ひとつずつ確認しながら進めないと、微妙な音の狂いを無視することに慣れてしまいそうです。
音はなかなか正確に出せません。本当に難しい楽器です。

アコーディオン、これはピアノと違って、鍵盤もベースボタンもまったく見えない、手探りの楽器です。おまけに蛇腹で空気を送らねば。
頼れるのは自分の耳と、手の感覚、それに蛇腹を動かす全身の感覚です。

なぜこんなに難しい楽器たちにはまったのでしょうねー…
先生について習いに行ったら(習うお金はありませんが)
もっと難しさを痛感して、途中で諦めてしまうでしょうねー。
毎晩バイオリンとアコの演奏CDを聴いてはため息をつき、こんなに弾けるようになりたい、と繰り返し憧れの気持ちが膨らんできます。
自己流と憧れだけで突っ走っているから続くのでしょう・・・たぶん。

弦の楽器と風の楽器。ずっとこれからも惹かれるのでしょう。
体と一体になれる気持ちのいい楽器です。

2010年9月2日木曜日

はや九月。楽器の引越し

8月は猛スピードで去り、はや9月。
4ヶ月の昏睡状態を経て義母逝去。昨年の義父に続き。
可愛がって下さった人たちの思い出だけが心の中を駆け巡ります。

葬儀を終え、月が変わると、それはなにか遠くの事に思えてきました。

親族たちが遺品を整理し、大半がゴミ袋の山になって、あっという間に広い家の中にあった親たちの生活の痕跡が消えていく…
倹約と労働に明け暮れた、あまりに質素な暮らしゆえ、親たちが使用したもののどれも廃棄処分にされるのは、致し方ないかもしれません。それにしても、寂しいことです。

火葬場で私は、義兄弟姉妹、甥姪たちと話しました。昔のこと、家には一本のギターがあったとか。

空いた部屋の数々…。四十九日法要の帰省の際に、このうちに音楽の種を蒔くことにしました。
義妹や成長した甥姪たちのために、休眠中の楽器を運んでくることにしたのです。みんな興味しんしんでした。おいておけば触りたくなるでしょう。触っているうちに引き込まれる人もいるでしょう。誰も住まない家に、みんなが通ってくるでしょう。と、そんな事を思い描きながら、楽器を持ってくるからね、とみんなに約束しました。

お義母さん、さようなら、そして、ありがとうございました。