2014年12月15日月曜日

Carl H. Hammigのバイオリンを弾いた人たち

先月はオカリナさんたちの発表会のゲスト出演で、
Hammigのバイオリンを初めて披露しました。
入念に練習を重ねましたが、本番では緊張、
でもなんとか無事に終えました。

数日後には介護施設での演奏が待っています。
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Carl Hammig が製作したバイオリン。
彼の作品を手にしたのはどんな人たちでしょう…
つれづれに情報を追ってみました。

1889年創刊の弦楽器専門誌 The Strad、2011年4月号
Phillip Kass 著の記事にこんな記載がありました。
「Carl Hammig のバイオリンを弾く人にはすぐれた音楽家が多数おり、なかでも著名なのは、バイオリニストで優れた指導者でもあったLeopold Auer だ。彼が渡米し、フィラデルフィアのCurtis Institute of Musicで教鞭をとるようになった際、Carl H. Hammigのバイオリンを持参した。そのため、同校はCarl Hammigのバイオリンを2本入手し、コレクションに加えた。」

レオポルド・アウアー(1845~1930)はハンガリー出身のバイオリニストです。中でもジョーゼフ・ヨアキムに師事した時から、ドイツ音楽の影響を大きく受けました。その弟子には沢山の著名なバイオリニストを輩出しています。エフレム・ジムバリストやヤッシャ・ハイフェッツもそのひとりです。

オーストリア治下のハンガリーで、貧しいけれど腕のいい家具職人の父のもとに生まれ、幼少から音楽の才能を見せ、音楽学校に入学しました。学費や生活費を稼ぐために苦労し、最初はフランスをめざし、その後彼の才能を見抜いた有力者に勧められロシアで活躍しました。
ロシアでは厚遇され、名誉を与えられ、40年以上を演奏と指導にあたりましたが、齢70過ぎにして、激動のロシア革命を逃れ、アメリカへと移住を余儀なくされました。アメリカでは自分のかつての弟子たちが活躍しており、彼を温かく迎えてくれ、生涯をバイオリニストの指導にあたりました。

ところで。
アウアーは晩年、ドイツに行き、ドレスデン郊外の風光明媚なロシュヴィッツ(モーツァルトや詩人ゲーテなども滞在し当時の高級避暑地)で客死し、ニューヨーク州のフェンクリフ墓地に埋葬されました。

Carl H. Hammigのバイオリンを弾くアウアーがCarl H. Hammigのいるドレスデンにやってきたのは、何のためだったのでしょうか?避暑観光の他にも用があったのでは、と想像の翼が羽を拡げます。

2014年11月23日日曜日

楽器製作ファミリー Hammig家のカール

ドイツ、ドレスデンで1934年に製作されたバイオリンを手に入れました。
製作者はCarl Heinrich Hammig(1877-1945)。

Hammigファミリーは代々楽器製作で有名で、現在は高級ピッコロやフルートなどが知られています。
John Dilworthというバイオリン製作家で研究者の著書によれば、ファミリーは18世紀末には、Saxon Vogtlandという地で高品質の楽器作りをしていたといいます。200年の伝統を持つ同ファミリーは、音楽と音楽家を深く理解し、楽器製作、修理メンテナンスを今日まで続けています。

さてバイオリン製作を見ていきますと、、同ファミリーの先祖は、1600年代半ばにSaxonに移住し、そのうち一部のファミリーが、1700年ころにバイオリン製作と販売を行うようになったのが始まりだそうです。

Carlのお父さんはGustav Adolf Hammig(1858-1947)。ドイツのバイオリン製作のメッカともいうべきMarkneukirchen (豊かな材料原産地)で、コントラバスなどを作っていましたが、彼の仕事は平凡だったようです。しかし、息子のCarlのほうはすぐれたバイオリン製作者だったらしく、その評価の記述が資料に見られます。著名なバイオリン工房Lippold Hammig社のオーナー代表として、バイオリン製作を行っていたようですが、その取引数は少なく、ドレスデンの企業歴史資料によると、ある年の取り扱い数は34本とありました。

1934年のドイツはナチスが台頭し権力を掌握した年です。
これまでドイツのバイオリンは大量に製作され、1800年代~1900年代初頭まで、主にアメリカに輸出されていましたが、度重なる大戦やナチスの台頭で、輸出はなくなり、当時のドイツのバイオリン製作者は国内向けという小さな市場に向けて職人技を駆使した作品を送り出していたようです。

Hammigファミリーの初期のバイオリン製作は、ストラディバリウスが活躍した時代と重なりますが、このファミリーの特色は、裏板を一枚板で作ること、そしてさまざまな工夫を凝らして、実験的なバイオリンを製作したところにある、とのことです。(新宿の某高級バイオリン店のご主人も、「職人はそれぞれのこだわりで色々な作り方をする」と話していました。(ここでさりげなく手にしたイタリア製のオールドが1800万円。見た目で違いは全く分かりませんでした。)

私のCarl Hammigは傷が多く、C部分の一部が焼け焦げたようになっていて、第二次大戦の連合軍によるドレスデン大空襲を生き延びたのでは、と想像をかきたてます。が、ニスの剥げ、無数の細かい傷にもかかわらず、虎の杢目模様は美しく、その音色と響きに心奪われます。これまでに手に入れたどのバイオリンよりも素直に弓を受け止めてくれるような感覚があります。

明日は、このバイオリンの最初のステージです。
あがり症の自分は、この楽器とひとつになれるでしょうか。

2014年9月16日火曜日

ドイツ・レクイエム とバイオリン練習法

昨日、サントリーホール大ホールの第12回三菱ダイヤモンドコンサートに行きました。

壮大な構成でした。東京フィルハーモニー交響楽団(指揮:広上淳一氏)をバックに、200名以上の混声合唱に
ソプラノとバリトンのソロを加えた、ブラームスの「ドイツ・レクイエム 作品No.45」。

ドイツ語の歌詞は聖書からの言葉ですが、宗教になじみのうすい日本人にも分かりやすく、
声と音のかけあい、ハーモニー、一体感に引き込まれました。

こういうシチュエーションでは、どうしても弦楽器に目がいってしまいます。
バイオリン23、ビオラ11、チェロ7、コントラバス6、ハープ1(ハープの音はどこで出ていたのか、
記憶がありませんが)。
こうしたクラシックのバイオリニストたちの演奏を聴くたびに思うことがあります。
やはり、習いに行った方がいいのでは…と。

夢中になって練習した日々には気づかなかった事が、今は無数に出てきて、
ちょっと行き詰まりを感じています。

できないことは沢山あります。

・ピアニッシモからフォルテッシモの自在な変化
・クリアで深いロングトーン
・繊細で微弱なロングトーン
・正確なポジション移動

数えればきりがありませんが。

今まで何度も、お教室のドアを叩こうとするたびに、なにかヒントが舞い込んできました。
今回は本でした。
『本当に役に立つ!ヴァイオリン練習法74』
これでまたしばらく、独学モードが続きそうです。



2014年7月16日水曜日

ゴジラのテーマ

先日、NHKが映画「ゴジラ」の音楽や音声を作った人たちの特集を放送しましたが、その「ゴジラ」のテーマに、すっかりはまってしまいました。
フィドルでさわり部分を弾いてみると、なんだか妙に覚えにくい。

楽譜におこしてみて、その訳が分かりました。混合拍子なのです。

4拍子と5拍子が交互にでてきます。
オーケストラの演奏を聴いているときは、気づきませんでした。

今年は「ゴジラ」映画がまた再登場。
ハリウッドの大作の音楽を担当した方も、作曲者の伊福部昭さんの原曲を何度も聴いたと話していましたが、この曲の奥深さには聴くたびに驚かされます。
いつしか映画を離れ、様々な場面が想起され、繰り返し聞いていると時間の経つのを忘れてしまいます。
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先週、地域から演奏依頼を頂き、昨年のマンドリン・ユニット仲間が、再度集まりました。
偶然でしょうが、演奏リストにおもしろい曲を、と候補にがっていたのが今話題の「ゴジラ」だったのです。

演奏用楽譜がないため、楽譜をおこすにあたり、構成はマンドリンとフィドルにしてみました。
これにギター、フルートを加え、「ゴジラ」のテーマとマーチを合わせてメドレーにした楽譜も作ってみました。これをデジタル演奏で聴きましたら、なんだか使えそうな気がしてきました。
仲間の反応やいかに。果たして演目リストに入るでしょうか…